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1995年3月に起きたオウム真理教による地下鉄サリン事件

教団元幹部10人の死刑囚について、遺族の方々が執行への立ち会いや面会を求める要望書を法務省に提出したと報道された。
予想もしなかった近親者の死は我々の想像を超える苦しみだっただろう。

当時、神谷町を利用して通勤していた俺は、ほんの10分程度の違いで被害に遭わずに済んだ。ただ、同じ会社の数多くの同僚が被害に遭ってしまった。

会議室でテレビを見ながら、自分のデスクの電話を会議室に転送しておいた。
当時20歳代のアメリカ人社員が被害に遭ったとの連絡を受けたが、会社としては風向きを考慮してビルの外に出ることを禁じていた。
午後になって被害のあった社員の元へ行くことが許された。

幸いにも症状は軽く、自力で自宅へ帰れる状態だった。
ただ、日本語が全く話せなかったこともあり、病院に足止めされたままになっていたのだ。

病院に行って身元引き受けの手続きを行うと、自由になったが状況を説明すると恐怖のためか、かなりのショックを受けていた。当日はそのまま自宅へ帰ってもらい、1週間後くらいにオフィスに戻ってきたときは、母国に帰ると言い出した。
当然の事だったと思う。

一方で俺は、あの日からバイク通勤をはじめたのだ。
多少の雨でもカッパを着て通勤していた。
それから10年以上バイク通勤を続けただろうか…

あれほどテロの怖さを思い知った日は無い。

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